ボクシング界で「プロのアマチュアボクサー」として新たな道を切り拓く岡澤セオン選手。
2021年世界選手権で日本人初の金メダルを獲得し、東京オリンピック・パリオリンピックと2大会連続で五輪代表を務めた彼の素顔に迫ります。
ガーナ人の父と日本人の母を持つハーフとして生まれ、独自のキャリアを築いてきた岡澤選手の家族背景、収入源、そして波乱万丈の人生ストーリーを詳しく解説します。
基本プロフィール
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引用元:Instagram
岡澤セオン(おかざわ せおん)は、1995年12月21日生まれの29歳。山形県山形市出身のアマチュアボクシング選手です。
詳細データ
本名は「岡澤セオンレッツ・クインシー・メンサ」という非常に長い名前で、「セオン」という名前はガーナ人の父親が古代エジプト神話の戦いの神「セト」に由来して名付けました。
セトは「偉大なる強さ」を持つと伝えられており、まさに現在の岡澤選手の活躍を予見していたかのような名前です。
身長179cm、サウスポーのディフェンス重視のスタイルで、ウェルター級からライトミドル級(71kg級)で活動しています。
中央大学法学部を卒業後、現在はINSPAに所属し、鹿児島県鹿屋市を拠点に活動を続けています。
名前に込められた「偉大なる強さ」という願いが、現実のものとなっているのが素晴らしいですね。運命を感じさせますし、ご両親の愛情の深さが伝わってきます。
家族構成とハーフのルーツ
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引用元:Instagram
父親:ガーナ出身の謎多き存在
岡澤選手の父親はガーナ人で、現在はガーナに住んでおり日本にはいません。
名前は一般に公表されておらず、岡澤選手とは英語で連絡を取り合っているものの、岡澤選手自身が英語が得意ではないため、返事をしないことで怒られることもあるそうです。
父親の職業などの詳細は明かされていませんが、息子の名前に込めた「偉大なる強さ」への願いが現実となっていることを、きっと誇りに思っていることでしょう。
母親:おかざわグループの社長令嬢
岡澤選手の母親は岡澤祐子さんで、山形県で「おかざわグループ」を経営する家系の娘、いわゆる社長令嬢です。
おかざわグループは山形県内で「ビジネスホテルおかざわ」や「味の店スズラン」などの飲食店・ホテル業を展開する企業です。
母親は非常に教育熱心で、「黒人だと日本ではデメリットになることが多いから、勉強は人よりもできるようにさせられました」と岡澤選手は語っています。
その結果、岡澤選手は高校時代、常に学年3位以内の成績を維持していました。
弟:サッカー選手として活動
6歳年下の弟岡澤オサイリス・クワナベ・メンサさんは、サッカー選手として活動しています。
山形FCジュニアユース出身で、偏差値69の山形東高校を経て筑波大学に進学し、現在は東京ユナイテッドFCに所属しています。
ガーナ人の父、社長令嬢の母、そしてサッカー選手の弟。まるでドラマのような家族構成ですね。この多様な環境が、岡澤選手のユニークで柔軟な人間性を育んだ背景にあるのかもしれません。
競技キャリアと主要成績
レスリングからボクシングへの転身
岡澤選手のスポーツ人生は小学1年生から始めたレスリングからスタートしました。
小学校1・2年生の26kg級で宮城ジュニアレスリングフェスティバルで優勝を果たすなど、早くから才能を開花させていました。
9年間レスリングを続けた後、高校ではレスリング部がなかったため、陸上部かラグビー部に入部しようと考えていましたが、「不良っぽく派手な時計を付けた先輩」にほぼ強制的にボクシング部に入部させられたことがボクシング人生の始まりでした。
レスリングでの実績を捨て、偶然始めたボクシングで世界の頂点に立つとは、まさに漫画の主人公のよう。人生、どこでどんな転機が訪れるか分からないということを教えてくれます。
世界舞台での快挙
岡澤選手の最大の功績は、2021年世界選手権ウェルター級での金メダル獲得です。これは日本人として史上初の世界選手権金メダルという歴史的快挙でした。
また、2019年のアジア選手権では36年ぶりとなる日本人のメダル(銀メダル)を獲得し、2023年のアジア大会ライトミドル級では金メダルを獲得してパリオリンピックの出場権も手にしました。
年収と収入源の革新的モデル
「プロのアマチュアボクサー」という新境地
岡澤選手が注目を集める理由の一つは、**日本初の「プロのアマチュアボクサー」**として活動していることです。2021年4月からスポンサー収入だけで生活する前例のないスタイルを確立しました。
具体的な収入源
スポンサー収入:約20社の企業からサポートを受けており、主に活動拠点の鹿児島県鹿屋市の地元企業が中心です。
焼肉店を経営する畜産農家、建設会社、電気設備会社、ガソリンスタンド、自動車整備、酒造メーカーなど多岐にわたる業種から支援を受けています。
賞金・ファイトマネー:
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2021年世界選手権金メダル:約1100万円
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2023年IBAチャンピオンズナイト:150万円(敗者ファイトマネー)
この収入により、これまで財布の中身を気にして断念していたマッサージや高価な練習器具の購入、食材のグレードアップなどが可能になり、「バターチキンカレーの具材が良くなりました」と岡澤選手は感謝を込めて語っています。
アマチュアでありながら、自ら道を切り拓いてスポンサーを獲得する姿は、アスリートの新しいロールモデルと言えるでしょう。この行動力と発想力には脱帽です。
東京・パリ両オリンピックでの挑戦
岡澤選手は2021年東京オリンピックと2024年パリオリンピックの2大会連続で日本代表を務めました。東京オリンピックではウェルター級で2回戦敗退(9位)、パリオリンピックではライトミドル級で2回戦敗退という結果でした。
五輪でのメダル獲得は叶いませんでしたが、世界選手権での金メダルや新たなアマチュア選手のロールモデル確立など、ボクシング界への貢献は計り知れません。
アイデンティティとメンタルの強さ
ハーフとして生まれた岡澤選手は、見た目について悪く言われることもありましたが、
「僕はハーフで良かったことの方が多いですよ。目立つし、いじってもらえるし、仲良くなれるし」「黒人と言われるのは”おいしい”と思って生きてきた」と前向きに捉えています。
このポジティブなマインドセットは、同じような境遇の人々にとって大きな励みとなっています。
まとめ
- 岡澤セオン選手は、ガーナ人の父と日本人の母を持つハーフとして山形県に生まれ、レスリングからボクシングに転身して世界選手権金メダリストにまで上り詰めた稀有な存在です。
- 「プロのアマチュアボクサー」として年収数千万円規模の収入を確保し、後進のために新たな道筋を示しています。
家族の多様なバックグラウンド、革新的な活動スタイル、そして何より前向きな人間性が、彼を単なるアスリート以上の存在にしています。今後も日本ボクシング界のパイオニアとして、さらなる活躍が期待されます。
ボクシングの実力だけでなく、その生き方や考え方そのものが非常に魅力的な選手です。競技者としてだけでなく、一人の人間としての彼の今後の言動からも目が離せません。