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なぜ高野連が沖縄尚学の応援「ペイント・民族衣装」を禁止?理由とルールとは

なぜ高野連が沖縄尚学の応援「ペイント・民族衣装」を禁止?理由とルールとは

2025年の夏の甲子園で、一つのニュースが野球ファンの間で大きな話題となりました。日本高等学校野球連盟(高野連)が、沖縄尚学高校の応援団に対し、顔のペイントや民族衣装を控えるよう注意したというのです。

なぜ、応援のためのペイントや伝統的な衣装が問題視されたのでしょうか。この記事では、大きな議論を呼んでいる高野連の対応について、その背景や理由、そして世間の反応を詳しく掘り下げていきます。

事の発端は沖縄尚学の応援団「チョンダラー」

なぜ高野連が沖縄尚学の応援「ペイント・民族衣装」を禁止?理由とルールとは

引用元:沖縄タイムスプラス

問題の発端となったのは、第107回全国高校野球選手権大会の準決勝での出来事でした。

沖縄尚学のアルプススタンドには、沖縄の伝統芸能「エイサー」の道化役である「チョンダラー」に扮した応援団がいました。

彼らは顔に白塗りのペイントを施し、伝統的な衣装をまとって、選手たちに熱い声援を送っていたのです。

しかし、この応援スタイルに対し、高野連が「顔のペイントや民族衣装は控えるように」と注意。これを受け、沖縄尚学側は決勝戦でチョンダラーによる応援を取りやめるという事態になりました。

【筆者の感想】
郷土の伝統芸能で母校を応援する姿は、とても素敵だと思います。選手たちにとっても、地元を象徴する応援は大きな力になったはずです。それだけに、なぜこの応援が注意されなければならなかったのか、少し寂しい気持ちになりますね。

高野連が示す「禁止」の本当の理由とは?ルールにはない「お願い」の謎

では、高野連はなぜペイントや民族衣装を問題視したのでしょうか。

実は、高野連が公式に発表している「高校野球特別規則」などのルールブックには、応援団のペイントや衣装に関する明確な禁止条文は存在しません。

今回の注意は、成文化されたルールに基づくものではなく、高野連による口頭での「呼びかけ」や「お願い」という形で行われたのです。

高野連は取材に対し、「顔のペイントや民族衣装は控えようと呼びかけている」と説明していますが、具体的な理由は明らかにしていません。

【筆者の考察】
ルールにないことを「お願い」として制限するのは、少し疑問が残ります。明確な基準がなければ、応援する側は何を頼りにすれば良いのか分からなくなってしまいます。特に、過去にも沖縄の伝統芸能「エイサー」が「奇異」「華美」という理由で自粛を求められた経緯があることを考えると、特定の文化への偏見と受け取られかねない対応だと感じます。

ネットで噴出する批判と高野連への不信感

この一件が報じられると、ネット上では瞬く間に批判の声が広がりました。

  • 「文化の否定ではないか」

  • 「法被や袴での応援は許されているのに、沖縄の民族衣装だけダメなのはおかしい」

  • 「差別的だ」

といった意見が数多く投稿され、大きな議論を巻き起こしています。

さらに、野球部内でのいじめ・暴行事件に対して「厳重注意」という比較的軽い処分で済ませた過去の対応を引き合いに出し、「選手の安全より応援の見た目を問題視するのか」と、高野連の姿勢そのものに疑問を呈する声も上がっています。

【筆者の意見】
多くの人が疑問を感じるのは当然だと思います。特に、他の伝統的な応援スタイルが認められている中で、沖縄の文化だけが制限されるような印象を与えてしまっては、不公平だと感じる人が出るのも無理はありません。高野連には、全ての人々が納得できる、透明性の高い説明が求められていると感じます。

選手の「アイブラック」はOK?ルールの線引きはどこに

興味深いことに、応援団のペイントが問題視される一方で、選手が目の下に塗る黒いペイント「アイブラック」は、高野連の規定で特に禁止されていません。

これは主に日差しよけのために行われるものですが、同じ「ペイント」でも、選手の行為と応援団の行為では扱いが異なるようです。

この一貫性のないように見えるルールも、今回の騒動で高野連への不信感を増幅させる一因となっているのかもしれません。応援はNGで選手の用具はOKというダブルスタンダードに、多くの人が戸惑いを感じています。

【筆者の感想】
選手の用具については色まで細かく規定されているのに、応援については曖昧な「お願い」で対応する。この違いは一体どこにあるのでしょうか。応援も試合を構成する大切な要素と考えるならば、もう少し柔軟で、かつ公平な対応があっても良いのではないかと個人的には思います。

まとめ:問われる高野連の姿勢と今後の対応

今回の一件は、高野連が明確なルール規定なしに、ペイントや民族衣装に対して自粛を求めている事実を浮き彫りにしました。その理由は曖昧なままであり、多くの野球ファンや国民から「文化的背景への配慮に欠ける」「時代錯誤だ」といった厳しい批判を招いています。

高校野球がこれからも多くの人々に愛され、夢と感動を与え続ける存在であるために、高野連には、多様な文化を尊重し、誰もが納得できる公平なルール作りと丁寧な説明責任を果たしていくことが強く求められています。今後の動向を注意深く見守りたいと思います。


 

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